胡弓演奏家石田音人の音楽演奏の旅、玲琴誕生の話や音楽活動、コンサート・ライブ予定などを紹介します。

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胡弓の道しるべ

胡弓の道しるべ1・・玲琴の旅1 (2008.5.29)

昭和2年8月16日東京放送局(JOAK)にて.jpg  田辺尚雄氏のご子息であられ、東洋音楽研究会の発展に寄与された田辺秀雄先生のご承認によって、当時の写真を掲載させていただくことができるようになりました。田辺秀雄先生、本当にありがとうございました。

 この写真は、昭和2年8月16日に東京放送局(JOAK)で、田辺尚雄氏が、玲琴演奏をされたときの写真です。

 大正末に開局したラジオ局の電波(いわば放送黎明期のメデイア)にのって、玲琴は、民謡伴奏や朗読伴奏として考案者の田辺尚雄氏本人に奏でられて、全国に届けられました。

 下の写真は、大正15年8月15日名古屋放送局(JOCK)で、追分節名人で玲琴製作者の見砂東楽氏と田辺尚雄氏が演奏されたときの写真です。

 また、レコードは先月(2008年3月),手に入った、見砂氏と田辺氏演奏による追分節の当時のレコードです。古いもので、雑音の中に、朗々とした、玲琴の響きが流れます。まさに、玲琴の奏でる深い日本海の波にのって歌われる追分節です。

大正15年8月15日名古屋放送局(JOCK)にて.jpg          POLYDOR-125田辺さん.jpg

 「玲琴を、ぜひ、広めていただきたい。」
田辺秀雄先生は、あたたかい励ましのお言葉を、かけてくださいました。

玲琴の旅2(2008.5.26)

白黒オリジナル玲琴.bmp  この写真は、2007年までに、石田音人が制作したオリジナル玲琴です。

 玲琴とは、大正十年頃、音楽学者田辺尚雄氏が考案し、見砂知暲(東楽)氏が制作した低音胡弓です。

 田辺尚雄氏は「日本の楽器(創思社刊)の中で、「チェロに匹敵するような低音で且つ強大な音を出しえて、而かも東洋独特の寂びのある渋い音色をもった低音を作りだすことを目的とした。それには東洋の胡弓及び西洋のヴァイオリン属の祖をなすアラビアの木製胡弓ラバーブを手本として考案した。」と述べています。

 馬頭琴をモデルとしたといわれる・・と、今日いくつかの書物や、辞書に書いてありますが、どうも、そうではないようです。大正十年頃、モンゴルに今日みられる木製の馬頭琴はなかったようです。知人のモンゴル馬頭琴製作者のバイラーさんが、「木製の馬頭琴は50年ほど前に、作られるようになった。」と言っていました。また、大正十年頃に、モンゴルの民族楽器の情報が入ってくる可能性は、非常に少なかったようです。今から85年前の、玲琴が生まれた時代は、木製の馬頭琴は存在しておらず、モンゴルの民族楽器の情報が入ってこなかったようです。だから、馬頭琴をモデルにすることはできなかったと考えます。

 田辺尚雄氏は「続田辺尚雄自叙伝(邦楽社刊)」の中で「追分節の歌の伴奏に・・・・三味線だけではステージの演奏としては寂しいし、深みが足りない。・・・深い日本海の波・・・その深さを感じさせたい・・そこで私はアラビアのラバーブを手本にして、胴を方形の桐箱とし、それに三味線の棹をとりつけ、チェロの弓で擦る一種の低音胡弓を考えた。・・・・二絃のもの作って用いていたが、後に他の歌曲にも用いるようになって三絃に改め・・」と述べています。

 日本海の深い海の波を表現するために、玲琴を考案したのです。玲琴の音色は、開局したばかりのラジオ放送よって、全国は届けられました。

胡弓の道しるべ2・・・・弓奏の擦弦楽器の源流の地へ(2008.5.20)

churuku..jpg 2006年7月ホショーツアイダム遺跡を訪れた時のことです。どこまでも続く草原の海に、ひたすら風が吹いていました。
いくつかの石碑がぽつんと残されたこの地で、胡弓やバイオリンの源流・・弓で奏でる擦弦楽器が生まれたといわれてます。

 9世紀頃、中国東方から西域に移動したチュルク族が、竹の棒で奏でていた奚琴を弓で奏でるようになったといわれています。(原一男「擦弦楽器の起源と伝播についての考察」)そのチュルク族の遺跡で胡弓を奏でました。なんと、弓を弦から放したその時、風が弦を奏でたのです。ハーモニックスを巧みに織り交ぜ、不思議な曲を、風が奏で続けました。大草原を渡る風は、弓のように真っ直ぐ吹き進みます。日本では、建物や、木々、丘、山々にぶつかり、風は向きを変えていくので、風に胡弓をかざしてもなりません。ところが、真っ直ぐに進むモンゴルの風ゆえに、弦を奏でることができるのです。

 この時の、体験を下記のように寄稿させていただきました。

「地球の歩き方07-08 モンゴル」(ダイヤモンド社/ダイヤモンド・ビッグ社刊) p215掲載
エルデニゾー寺院と音人玲琴 125.jpg 胡弓の源流の遺跡で風が弦を奏でた

 オルホン渓谷の文化的景観(2004年世界遺産登録)の遺跡群のひとつ、ホショーツアイダム遺跡は、草の海の中にあった。ここに、7世紀のチュルク帝国3代目国王ビルデ河汗と弟キョルデギンの石碑群がある。この遊牧民チュルク族が、初めて馬の毛で弦を奏でる楽器を生み出し、広めたといわれる。
ここは、胡弓・バイオリン族の源流の地でもあるのだ。

 胡弓・バイオリン族の起源といわれる擦弦楽器は7世紀の中国とその北部の遊牧民族で使用されていた奚琴(二胡と類似)といわれる。ところが、馬の毛の弓は使われておらず、竹の棒で擦って音を出していたらしい。

馬の毛を使った擦弦楽器が初めて現れるのは、10世紀の中央アジア・西アジアのラバーブ(バイオリン族のルーツ)である。7世紀、竹棒で奚琴を奏でていた中国北方の遊牧民族「奚」を支配したチュルク族は9世紀から10世紀に、西方に移動。ところが西方は竹が手に入らない。そこでチュルク族は、馬の毛を用いた奚琴を開発、やがて、イスラム世界に同化し、西方の擦弦楽器にも馬の毛の弓を応用したという。(胡弓演奏家・胡弓研究家 
原一男著「小胡弓史」)
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 今、目の当たりにしているのは、7~8世紀のチュルク族の遺跡。ここは、竹の生えていない大草原。まさに、人々は、この地で、手に入らない竹棒から身近な馬の毛の弓に持ち替え、胡弓を奏でたのであろう。

 「この偉大な地を称える演奏をしたい」。持参した胡弓を持ち石碑へと歩きはじめた。そのとき、「ヒュルルー」、楽器がひとりでに鳴った。それも、複数の音や音階が重なり、美しい見事なハーモニーを奏でている・・・・・・。風が弦を奏でたのである。
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 まさか、ここで、モンゴル民族に語り継がれた民話を体験できるとは・・・。

 砂漠に吹く風が馬の尻尾の毛を奏で、美しい音色が響いた。この音色に感激した遊牧民が、その美しい音を作りたいと、馬の毛の弓で擦る楽器を作った。授乳できない母らくだが、この音色を聞き、大粒の涙を流し、子らくだに乳を与えるようになった。この楽器は、やがて「馬頭琴」になったという。

 今ここに、モンゴル民話とチュルクの伝説が、ひとつの風の唄になり、胡弓誕生の秘密を教えてくれた。        
              石田音人 (写真はホームページ用に挿入)

胡弓の道しるべ3 ・・・
おわらの伯育男さんとの出会い、そして弓の製作へ