東海豪雨10周年 胡弓の演奏を通じて東海豪雨を伝える

東海豪雨10周年 胡弓演奏を通じて東海豪雨を伝えています

2001.hisaikouba.jpg2000.9.12の東海豪雨新川決壊により被災した工場

2010.7.4.七夕伝説胡弓ライブで、東海豪雨の写真展示しました。2010.7.4.live.cheri.jpg2010.7.4.ライブ会場チェリー入り口に東海豪雨の写真を展示
2010.7.5.中日新聞に掲載2010.7.4.tanabatalive.jpg2010.7.5.中日新聞

堤 記事 朝日 2001.jpg2000年10月6日朝日新聞

10年前の東海豪雨で決壊したあしはら公園には、当時、被災された住民を励まし続けた水仙が咲いていますあしはら公園の水仙.jpg

昨年末から今年にかけて、当時の写真をパネルにし、コンサートやライブで展示しいます。決壊現場前.jpgパネル写真は、山田正敏様撮影 東海豪雨を語り継ぐ会 提供

 10年前の2000年9月11日の夕方、降り出した大雨は、いつもの雷雨と違って3時間あまりも降りやまず。付近はひざあたりまで冠水し、自動車の通行ができないほどでした。

 それでも、夜10時過ぎには、小降りとなり、溢れた水は、徐々に引きはじめていました。庄内川は大丈夫か、と急いで、自動車を走らせ堤防へ・・・。なんと、轟々と茶色の濁流が、二階の家の屋根ほどの堤防のすぐ下まで、押し寄せていました。

 もしや、堤防が決壊!と危惧し、何種類もの胡弓や楽器、音響機材、書類、資料があるスタジオがある実家へと向かいました。

 二時間ほどかけて、胡弓などの楽器群と機材を2階へ運び、残りは1階のテーブルの上に置いて、不安ながらも、自宅のマンションの4階に戻りました。

 浅い眠りの中、電話が実家の母からかかってきました。9月12日の早朝4時半頃です。
 「今、水が押し寄せてきた。トイレや玄関から、濁流が溢れている!」
 母が、悲痛な声が電話口の向こうから聞こえてきました。

 スタジオから約1キロほどのあしはら町の新川堤防が、12日午前4時頃決壊したのです。

 その時の写真を、撮影者山田正敏様と「東海豪雨を語り継ぐ会」より提供していただき以下に掲載させていただきました。

image002.jpg2010年9月12日東海豪雨により決壊した名古屋市西区あしはら町の新川堤防image004.jpg濁流が住宅地に流れ込みますimage006.jpgimage008.jpgimage009.jpg対岸から、結果居場所を望む
image011.jpgimage013.jpgimage024.jpgimage028.jpgimage026.jpg
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2006.suisenn.jpgあしはら公園の水仙被災住民を励ました水仙の花

当時、被災された住民を励まそうと、避難所で胡弓演奏を行っていました。2010.10.13.nishibishiennensou1.jpg

そのとき出会った、山田則子さんは、決壊場所からわずか100メートルほどの場所に住んでおられて、住宅は半壊に近い大きな被害を受けられました。
2001yamadasannto.jpg決壊場所に、水仙を植えた山田さん
山田さんは、町に残る泥流の泥の中から、水仙の球根を拾い出し、決壊堤防に植えられました。被災の翌年、この水仙が、白く
美しい花を咲かせ、復旧で疲れ果てていた被災住民を励ましてくれました。

2001.suisenn2.jpg取り壊される家とあしはら公園の水仙2001.1.29chunichi.jpg東海豪雨から半年後の2001年3月に開催された復興の集いで、この水仙のエピソードを歌にして、被災住民の皆様と一緒に歌いました。
 毎年、この歌を歌い続け、水仙を植え広げ続けています。
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